失恋をとおして気づいた「依存症」。 依存ではなく自立することで手にした、新しい夢

2017.02.21

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「ニュースキンの仕事に出会い、自分を見つめ直せたからこそ、今がある」と語る、瀬田いずみさん。かつては結婚したかった相手にフラれ、お母様との関係に悩んでいた時期もあったそうです。自分の幸せが見つけられなかった頃から現在まで、瀬田さんは家族とどんな時間を過ごし、どんな夢を思い描いて歩んでいるのでしょうか?

恋人にフラれ、「今よりもっと、幸せになりたい!」と思った

 元々は会社員として、グラフィックデザイナーの仕事をしていました。毎日ハードワークで夜中まで残業することも多かったのですが、当時お付き合いしていた彼と結婚すればこの仕事も辞められるかな、とぼんやり考えて過ごす日々でしたね。

 しかしあるとき、彼から「君との結婚は考えられない」と、フラれてしまったんです。突然のことでショックだったのはもちろん、私の何がダメだったのかずっと分からなくて…。「とにかく今より幸せになって、彼を見返したい(笑)!」と会社を辞めて、新しい仕事を探し始めました。

 しかしなかなか方向は定まらず、漠然と「カフェをやりたいかも」と考えていたころ、友人が飲食店を7軒経営している方を紹介してくれました。その方が飲食店と並行して取り組んでいるもう一つの仕事が、ブランドパートナーだったんです。

 その方から、自分のやりたい仕事をしながらも家族との時間を優先する働き方をしていると聞いたとき、「私の目指すべき生き方を見つけた!」と思いましたね。それをきっかけに、カフェよりもニュースキンの仕事に興味が沸いて、事業説明会に参加したんです。そこで見たイキイキとしたブランドパートナーの先輩たちの姿を見て、「この道で間違いない」と確信しました。

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先輩ブランドパートナーの姿を見て気付いた、自分の依存体質

 しかし母がこの仕事を理解してくれず、猛反対。私は大切な母に対して自分の意志を押しとおすことができず、一時はブランドパートナーの仕事を諦めようと思ったこともありました。

 新しい仕事を始めようとした矢先の出来事に落ち込んでしまい、「どうして私はいつも上手くいかないんだろう? 何がみんなと違うんだろう?」と考えました。すると、身近にいるブランドパートナーの先輩方は揃って自分のやりたいことがはっきりしていて、他人に頼らず、自分で自分のことを幸せにできていることに気づいたんです。今までの私は、誰かが私のことを幸せにしてくれると思い、自分の幸せまで誰かに頼ろうとしていました。そんな私が特に依存していたのが、母でした。

 私は母子家庭だったので、母と私はとても近い関係であり、私は母が言ったことになんでも従って生きてきたんです。自分の人生なのに、優しい母に依存して、母の決めたこと以外はなにひとつ自分の意志でできていなかったのだと思いました。悩んだ末、一度母とは距離を置き、思い切って新しい世界に飛び込むことにしたんです。

自立した人同士が関わり合うからこそ、幸せをつくっていける

 ブランドパートナーの仕事を始めたばかりの頃は苦労することばかりで、一通り仕事の説明を聞いたあとに「何が分からないかが、分からないです」と尋ねたこともありました(笑)。でも、「自分がやりたいこと」を探す中で、ニュースキンの仕事を通じて初めて「自分で自分のことを幸せにする」ことができている実感が得られました。

 そこで見つけた「やりたいこと」の一つが、自分自身による表現活動です。興味をもったことにはトライするようにしていたら、音楽活動や数秘術、ミシンキルトなど、以前から思い描いていた夢がどんどん叶っていっています。私以外にも表現活動をしている人を集めて、発表の場を設けたら楽しいだろうなと思い、以前「大人の文化祭」というイベントを開催したんです。結果、イベントは大盛況。これからも続けていきたいですね。

 ニュースキンの仕事では、自然といい出会いにも恵まれ、ブランドパートナーの先輩でもある今の夫と結ばれることもできました。夫とは今でも週に1回、必ずデートに出かけるようにしています。ブランドパートナーの先輩を見習って始めた習慣なのですが、これって経済的・時間的な余裕はもちろん、心にもゆとりがないとできないことですよね。

 今は間違いなく、幸せになったと胸を張れるようになり、一度は距離を置いた母を迎えに行くことができました。母は、ニュースキンの仕事で自立した私を見て安心したようで、親子ではなく人として、ようやく認め合うことができたんです。

 私と同じように、母も一人娘である私に依存していたんだと思います。お互いに依存の対象から離れて自立することが、私はもちろん、母の人生においても必要なことだったんですよね。私も母も夫も、それぞれが自立しているからこそ幸せをつくっていける。

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 今では、自分がやりたいと思ったことは年齢を気にせずやるようにしています。その結果、以前の自分からは想像できないほど、自分で自分のことを幸せにできるようになりました。失恋をきっかけに自分を見つめ直していなかったら、今もずっと誰かに依存して生きていたかもしれない。そう思うとフッてくれた彼にも感謝ですし、ニュースキンを通じて出会えた方々や支え続けてくれる夫、そして母にも感謝の気持ちでいっぱいになります。

瀬田 いずみ

Izumi Seta

勤めていた会社を辞め、やりたいことを探すなかでブランドパートナーの仕事に出会った。新しい仕事への挑戦をきっかけに自分自身のあり方を見直し、依存体質から脱却して自立へ。それ以降、自己表現をする創作活動やイベント企画など「やりたいこと」の幅を広げ、夢を実現していっている。ニュースキンの仕事を通して知り合った男性と結婚し、現在は2児の母。

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