カイロプラクターは、いつまでやれるかわからない…
辛い闘病生活を支えてくれた、もうひとつの仕事
2017.02.07
体を酷使する仕事に「これから先もずっと続けることはできないだろう」と不安を感じていたという、整体師・カイロプラクターとして働く能勢 英之さん。人の体を診るプロでもある能勢さんは、ブランドパートナーの仕事のどんな所に惹かれたのか、伺いました。
やりがいの反面、将来の不安も大きかった整体師・カイロプラクターの仕事
スポーツトレーナーとして勤めていた会社を辞めて、整体師・カイロプラクターとして独立したのは22歳のときです。整体カイロプラクティック院を2店舗経営していたのですが、これがとにかく忙しくて。1ヵ月のうち29日、朝から晩まで働き詰めのような生活が何年も続きました。
仕事自体はとてもやりがいがあったし、忙しいこと自体はそれほど苦にはなりませんでした。唯一不安だったのは、将来のこと。この仕事は自分の体が何より大切な商売道具なので、病気はもちろん、突き指をしただけでしばらくの間は仕事ができなくなってしまいます。また年齢を重ねて体力が落ち、長時間働けなくなってくると、自然に収入も減ってしまいます。
「整体師・カイロプラクターはこれから先もずっと、同じペースで続けられる仕事ではない」。そうは分かってはいても、具体的な対策は何もしていませんでした。これは同業者の多くが抱えている悩みかもしれませんね。
お客さまにも安心して出せる、プロも納得するほどの品質
そんな時、お客さまからのご紹介でニュースキンを知りました。話を聞いたとき、なによりも製品の品質に興味をもちました。人の体を診ているプロだからこそ、サプリメントの品質は非常に重要なポイントになります。
商売はお客様ありきのもの。評判や信用を守ることは何よりも大切です。さまざまな資料に目をとおして、納得できるまでニュースキンという会社について調べました。そのうえで「これなら大丈夫」と自信をもてたので、これまでの仕事と並行して、ブランドパートナーの仕事に取り組むようになりました。
始めた当初は、ニュースキンの仕事の地盤を固めるために忙しく、本業との両立が大変でしたね。それでもブランドパートナーの仕事による収入は確実に増えていき、1年後には経営していた店舗の一つを人に譲れるほど、余裕ができました。現在はブランドパートナーの仕事を柱として、理想のペースで働けるようになりました。
大病を患ったときに、ブランドパートナーの収入に救われた
ブランドパートナーの仕事を始めてから、結婚して子どもも生まれ、家庭をもちました。妻とは年に数回、海外旅行に出かけていますが、朝から晩まで働いていた整体師・カイロプラクターの仕事をしていた頃だったら新婚旅行に行くことさえ難しかったと思います。家族と過ごせる時間が増えたことが、一番良かったことかもしれないですね。
実は3年前に慢性骨髄性白血病という大病を患ってしまい、自分では一切働けなくなってしまった時期がありました。若い頃に抱いていた不安が的中してしまったんです。
病気が発覚したときは、とにかくいろんな感情が押し寄せてきて、頭が真っ白になりましたね。何より「幸せにする」と言って結婚した妻に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
しかし、それまでにブランドパートナーの仕事で強い地盤を築いていたおかげで、収入面に大きな打撃がなかったのが不幸中の幸いでした。一緒に働いているブランドパートナー仲間の毎日の活動が、私を支えてくれたんです。整体師・カイロプラクターの仕事しかしていなかったら、無理を押して働かざるを得なかっただろうし、家族を路頭に迷わせないよう、妻と別れるという選択もあったかもしれない。ブランドパートナーを始める決断をして本当によかったな、と心から思います。現在は薬を服用することで症状を抑えることができていますが、辛い時期も献身的に支えてくれた妻には、感謝してもしきれません。
これからも、家族と一緒に過ごす時間はもっと大切にしていきたいです。そして、これまで自分を支えてくれた人たちや出会ってきた人たち、そして社会に対して何かを返せるような人間になりたい。やっぱり、自分だけもらってばかりの人生では、格好悪いですからね。
能勢 英之
Hideyuki Nose
専門学校卒業後、スポーツトレーナーを経て整体師・カイロプラクターとして独立。ハードな仕事に将来への不安を感じていた中でニュースキンと出会い、ブランドパートナーの活動をスタートさせる。その後、大病を患い整体師・カイロプラクターとしての収入が絶たれたときに、ブランドパートナーの収入に助けられ、この仕事のありがたみを実感。