夫婦で取り組む会社経営は青春のようだった
資金繰りに追われる生活に、ニュースキンがくれたもの

2017.04.04

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40年以上にわたって夫婦で会社を経営している丸山 俊彦さん、静子さんご夫妻。現在の穏やかな生活を手にする以前は、経営に追われ、資金繰りのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた時期があったそうです。ブランドパートナーの仕事によって生活がどのように変わったのか、そしてこれから先のご夫婦の目標について、お話を伺いました。

それぞれが会社をもつ経営者夫婦。毎日のように資金繰りに奔走していた

——ブランドパートナーの仕事を始める以前、経営されていた会社のことを教えてください。

俊彦さん:特技のスペイン語を活かして、29歳のときに翻訳会社を立ち上げました。主に商社をクライアントにして、ビジネス文書を翻訳する仕事です。一流の大学に入って、大手企業で働いている人をどこかで追い越さなければと思っていて、学生時代から自分で会社を立ち上げることを考えていたんです。

静子さん:そのときはすでに結婚していたのですが、夫の決断に不安になるどころか、「自分の好きなことにチャレンジして」と応援していました。でも起業して数年後、主人が「ふたつ目の会社を立ち上げたい」といい出して。そこで私も勤めていた会社を辞めて、1社目の翻訳会社の経営を引き継ぐことにしました。

——会社の経営は大変でしたか?

俊彦さん:特に1社目を立ち上げてしばらくの間は大変でした。実績もないので、飛び込み営業に行ってもどこも取り合ってくれないんですよ。もちろん2社目を立ち上げてからはさらに忙しくなり、妻も私も、朝から晩まで土日も休むことなく働いていましたね。

静子さん:一度事業を始めたからには、あと戻りはできないという覚悟をもってやっていました。経営者というのは社員に給料を支払っていく責任がありますから。中でも一番大きなプレッシャーだったのが資金繰りですね。特に主人は血尿が出てしまうくらい追い詰められていて、家庭内の空気もずっとピリピリしていました。

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「ネズミ講」という印象から一転、企業理念に感動してビジネススタート

——ニュースキンと出会ったときの話を聞かせてください。

俊彦さん:経営していた会社の元従業員から「社長に恩返ししたい」と連絡があったんです。その仕事は今までに聞いたことのないビジネススタイルだったため、「きっとネズミ講だからやめよう」と反対したのですが、妻が本気になっていて。

静子さん:そうなんです。実際に製品も使ってみて良かったし、ニュースキンのビジネスの報酬プランを何度も確認して、これなら間違いないと確信していました。夢が叶う仕事だから一緒にやろうと、何度も夫を説得しましたね。もともと世界に飛び出して仕事をしたいと思っていて、グローバルビジネスというところにも魅力を感じていたんです。しかも、事務所をもつ必要もないし、何より資金繰りに悩む必要がない。そのときの私たちにとっては、夢のような話でした。

俊彦さん:妻からの説得もあって私も報酬プランの勉強をするようになったのですが、そこでようやくビジネスとしての可能性に気づきました。ただ、新しい仕事を始めるということはリスクも伴うし、もともと自分で経営していた会社の取引先との信頼関係にも関わるので、ニュースキンという会社自体のこともよくリサーチしました。特にネズミ講ではないかどうか、周りの有識者にも相談しつつかなり慎重に調べ、不安を解消させました。その後、本社を見学しにアメリカまで行ったとき、ロビーに掲げられていた「All of the Good, None of the Bad(あなたにとって良いものだけを)」という理念に強く感銘を受けてしまって。これが、夫婦揃ってブランドパートナーを始める大きなあと押しになりました。

——ブランドパートナーを始めて、生活はどのように変わりましたか?

俊彦さん:最初の5年間は経営していた会社とのダブルワークで、それはもう馬車馬のように働きました。だけど不思議と、辛さやしんどさは感じなかったです。新しい仕事が面白くて、気づいたら深夜になっている感じですね。

静子さん:とにかく、今までの仕事では得られないような充実感がありました。楽しくて疲れもまったく感じないくらいで、「50歳から始まった青春」のような感じ。人生の中で一番ハッピーな時期だったかもしれません。

俊彦さん:妻と力を合わせてやっていたからこそ、苦しさも二人で分かち合えたのかもしれませんね。成功するために大切なのは「価値ある目標を設定して、実現に向けて一生懸命進んで行く」という過程なのだと私は思っていて、当時はちょうどそんな時期だったんだと思います。のちになって、苦しかった資金繰りから解放されたのはあくまでもその結果。ニュースキンがくれた最高のプレゼントですね。

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これからの目標は、穏やかな生活をくれたニュースキンに恩返しをすること

——仕事を通して、お二人の関係にも変化はありましたか?

静子さん:二人で力を合わせて仕事をしているから、前よりもしっかりコミュニケーションを取るようになったよね?

俊彦さん:そうだね。今は、何かあったときは必ず妻に電話を入れるようにしていますが、一人で会社を経営していた時代は、家に帰れないときも電話をすることはなかった(笑)。人生の中で何が一番大切なのかを考えると、1番目は命で、2番目が妻なんですよ。そして、子ども、両親、兄弟と続き、そのあとがようやく仕事。これに気づいてから、自分の行動も自然と変わりましたね。資金繰りから解放され、心に余裕もできて、やっとそういうことに目を向けられるようになったのかもしれないです。

——お二人の今後の夢を教えてください。

静子さん:私は死ぬまで働き続けたいと思っています。そして、ニュースキンに恩返ししたい。特にニュースキンが掲げる「1兆円企業の達成」という大きな目標に貢献したいですね。

俊彦さん:自分はあと5年くらい今のようなペースで働いて、その後はのんびり過ごしたい(笑)。もしかしたら、妻の方が私よりもよっぽど経営者体質なのかもしれないですね。

静子さん:働くことは嫌いじゃないし、女性の方が欲深いのかもしれない(笑)。それにニュースキンが大きくなれば、それだけ社会も良くなると思っていて…。経済格差が生まれている現代だからこそ、周りの人に手を差し伸べて、社会をより良いものにしていきたいんです。そうすることがやっぱり、ニュースキンの理念「Force for Good(人々がより豊かになるための力となる)」にもつながると思うので。

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丸山 俊彦

Toshihiko Maruyama

25歳のときに勤めていた会社から独立、スペイン語の翻訳会社を立ち上げる。その後、2社目となる能力開発の事業を始めるも、経営する2社の資金繰りに追われていた。ニュースキンの仕事は妻の静子さんからの提案がきっかけでスタート。現在は夫婦で地元の新潟に拠点を移し、都心と地元を行き来しながら活動を継続中。

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丸山 静子

Shizuko Maruyama

海外書籍を扱う会社に勤めていたが、夫・俊彦さんの2社目の立ち上げをきっかけに会社を辞め、1社目の経営を引き継ぐことに。会社経営で休む暇もない中で出会ったニュースキンの仕事に可能性を見出し、俊彦さんを誘ってブランドパートナーに。今後の目標は、死ぬまで働き、ニュースキンの1兆円企業達成に貢献すること。

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