頑張りたくても将来の希望がもてない…。 そんな中でようやく見つけた、亡き父に近づくためのやりがいのある仕事
2017.03.21
大学院卒業後、木村さんが就職したのは、グローバル企業でありながら、徹底した年功序列の会社。頑張っても達成感を得られない仕事に目標を失い、大学の同期との差も感じつつあったときに出会ったのが、ブランドパートナーの仕事でした。新しい仕事に挑戦した木村さんの決断をあと押ししたものは、何だったのでしょうか?
「どうしてこんな会社に入ったの?」上司の一言で、ほかの道を探し始める
大学院を卒業するにあたって、自分の将来や叶えたい夢について具体的にイメージすることができず、なんとなく就職活動を行っていました。都市開発を専攻していたので、できればデベロッパーに就職して、大学院での研究を活かした仕事をしたいと考えていたのですが、当時は就職難で会社を選ぶ余裕がなく、たまたま内定の出た物流会社に就職を決めたんです。
入社当初こそ、同期の中で一番の成果を出してやろう、しっかりステップアップしようなどと意気込んでいましたが、大手ということもあり、そこは徹底した年功序列で評価が決まる会社でした。近い将来に自分のキャリアが頭打ちになるのが見えてきて、本当は一生懸命頑張りたいのに、この仕事にやりがいをもてなくなってしまったんです。
決定的だったのは、上司からの「君は、どうしてこんな会社に入ったの?」という言葉。この会社でなんとか頑張ろうと思っていた矢先の出来事で、出鼻をくじかれたような気持ちになりましたね。実力のある先輩がどんどん退職をしていくのを目の当たりにして、自分にもほかの道があるかもしれないと考えるようになりました。
やりがいのある仕事を探す中で出会った、ブランドパートナーの仕事
そんなとき、久しぶりに会った先輩からブランドパートナーの仕事を紹介されたんです。自分がちょうど就職した会社で目標を失って、何かを変えたいと考え出していたタイミングでした。誇りをもって取り組める仕事を探していたことや、やりがいのある仕事ですでに活躍している友人たちに自分も追いつきたいという気持ちもあり、頑張れば頑張っただけ結果につながるこの仕事に興味をもちました。
周囲の人々からの反対はありました。しかし、私は今までの人生で反対を受けるような大きな決断をしたこともなく、この逆境は「自分にも変化のタイミングが来ているからなんだ」と思うようにしたんです。
実は私の父は、私が高校生のときにガンで他界しています。しかし、父の蓄えがあったおかげで私は経済的に不自由することなく、大学院まで卒業することができました。私は社会に出るまで、父がやったことの偉大さを理解できていなかったんです。このまま今の仕事を続けていても、自分は亡くなった父のように家族を支えることはできない。そういった思いも、今までとは違う新しい道へ進む動機のひとつになったと思います。
独立した個人の頑張りが皆の幸せにつながる。チームの存在が今のモチベーション
仕事を始めたばかりの頃は、とにかく積極的に動きながら、分からないことはどんどん人に聞きにいくようにしていました。ニュースキンの仕事は、自分で考えて動いていかなければいけません。会社勤めと違って、待っていればやるべきことが降ってくるわけではないんです。最初は特に、うまくいっている人のマネをしながら、自分なりに学んで活動するようにしました。そうしていくうちに、結果がついてくるようになりました。自分の行動に対する責任は自分で取る必要があり、「責任があるけれど自由」ということも、自分の成長に大きくつながったと思います。
この仕事の魅力は、だれかひとりが1位になるのではなく、全員で1位になれること。個人個人が競い合った結果がグループの結果につながり、それが皆の利益になります。これまでは、もし自分の身に大変な出来事が起きたら…と、不安になることが多かったんです。しかしブランドパートナーの仕事だったら、それまでに築いてきた皆とのつながりがあれば、家族や大切な人に降りかかる経済的な心配を和らげることができます。
今は、ブランドパートナーの仕事を通じて、前職では得られなかった大きなやりがいを感じています。一緒に仕事をしている皆がそれぞれ自分のゴールを設定して、それに向かって頑張る。周囲のブランドパートナーのそんな姿を見ると、自分も頑張らなければと、毎日、仕事に打ち込む大きなモチベーションを貰っています。

木村 京一朗
keiichiro Kimura
大学院卒業後、大手物流会社に就職。徹底した年功序列の環境で働きながら、キャリアの幅を広げていくきっかけが掴めずにいた。そんな中で出会ったニュースキンの仕事に「タイミング」を感じ、ブランドパートナーに。現在は所属するグループの運営補佐として、ビジネスや製品の提案活動を行っている。