津波で命を落とした仲間の遺志を受け継ぎ、
ニュースキン ブランドパートナーとして結果を出したい

2017.07.11

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宮城県・仙台市で働く佐々木さん。ブランドパートナーとして一生懸命仕事に取り組んでいましたが、2011年に一緒に働いていた仲間を津波で失いました。茫然自失の時期を経て、今は再び夢に向かって一歩を踏み出しています。大事な人との出会いと別れ、そして彼の遺志を受け継ぐ決意に至るまでの心境の変化を、お伺いしました。

同い年の仕事仲間と出会い、意気投合。共に長い時間を過ごす親友に

 高校卒業後に石巻から上京し、建築現場でガテン系の仕事をしていました。東京のタワーマンションの骨組みを担当するなど、ゼロから1つのものを形にしていく仕事で、やりがいはあったのですが、東京の生活よりもやはり地元での暮らしを求めて、24歳で再び石巻に戻ってきました。

 地元に帰ってからは、具体的な夢や目標もなく職を転々としていました。港湾作業員やパチンコ屋店員など、さまざまな仕事を経験したのですがどの仕事も長く続かず、あるとき知り合いからの紹介があり仙台市の飲食店で働くようになったんです。雇われ店長として頑張っていたのですが、働いているうちに「それなら自分でお店をもとう」と思い立ち、飲食店の経営を始めました。

 オープンして最初の2年程は好調だったのですが、景気悪化に伴い売上が少しずつ下がっていってしまって……。当時、近しい境遇にいた友人がいて、その友人とそれぞれの事業について、話をしながら一緒に時間を過ごすことが多くなっていました。彼は僕と同い年で共に飲食店経営者。共感し合える部分が多く、間もなく仲の良い親友になりました。その頃は、お互いの店を行き来したり、営業終了後から翌日まで海に出かけたりしていましたね。

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ブランドパートナーの仕事を始めた彼の熱意に心を打たれた

 僕がブランドパートナーの仕事を知ったのは、お店の経営悪化で先行きが不安だったときに親友の彼から紹介を受けたのがきっかけでした。初めて聞いたときはニュースキンのことも知らなかったですし、ビジネスの仕組みについても、訳が分かりませんでした。はっきり言って最初は、サプリメントやスキンケアにも興味がもてませんでした。

 でも、僕にニュースキンを紹介したとき彼は、すでにブランドパートナーの仕事をやる気になっていたんですよ。毎週末、僕が店を閉めて帰ると、彼が家の前で車に乗って待っていて(笑)。そのまま東京まで出かけてセミナーに参加し、ブランドパートナーの先輩方の話を聞くようになりました。

 彼はもともと明るくだれにでも好かれるタイプで、周りにいる人がついて行きたくなるような、カリスマ性のある人柄だったんですよね。彼と一緒にブランドパートナーの仕事について話を聞くうちに、「コイツがここまで本気なのだから、一緒にやってみたい」と思うようになり、僕もブランドパートナーの仕事を始めることにしました。「2人一緒に、この仕事で成功しよう」と話していたことを覚えています。

東日本大震災による津波で親友が亡くなり、目の前が真っ暗に

 そんな彼は、2011年3月11日の東日本大震災で津波に流され、帰らぬ人になりました。2010年の冬頃に、新しい家族ができた彼は子どもたちを養うためにも、一旦活動を休んでいたニュースキンの仕事に本気で取り組もうと決心し、2人で協力しあって、お互いのモチベーションを高めていた矢先のことでした。

 震災当日も発生前に彼と連絡をとっていて、「スポンサリングのために海近くの車屋で話してくる」と言っていました。終わったら打ち合わせをしようと約束をしていたのですが、おそらく出向いた先で津波に襲われてしまったのだと思います。僕は自宅で被災し、すぐ彼に連絡したのですが全く音信不通のまま。震災から2週間ぐらいたったのち、彼は遺体で発見されました。かなり時間が経過していたため身元確認ができない状態だったのですが、ニュースキンの名刺がポケットに入っていたことからすぐに身元が判明できたそうです。

 当時の僕は、震災の被害の大きさと親友が亡くなったという事実を受け止めることができず、仕事をするなんていうことすら考えられないほど、目の前が真っ暗になりました。この先何をやるべきなのか、落ち着いて考えられる状況ではなかったです。

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親友の家族への支援が発表され号泣。亡くなった彼との夢を果たしたい

 復興の目処も見えず、仕事ができるような状況ではない中、2011年10月に開催予定のニュースキンのイベントへも行けないのではと弱気になっていました。そんなときに受け取った、ブランドパートナーの先輩からの「迷ったら行動しよう!」というメールにとても勇気づけられ、イベントに出席することにしたんです。

 アメリカで開催されたそのイベントには世界各国のブランドパートナーが集まっていたのですが、イベントの中で、津波で亡くなった彼の写真がスクリーンに映し出されました。そして、ニュースキンが彼の子ども3人を義務教育終了時まで支援することが発表され、思わず号泣してしまいました。

 そのほかにも被災地支援として、アメリカからニュースキンの創業者たちが震災後の東北にすぐに駆けつけ、たくさんの支援物資と共に励ましに来てくれたり、東京にいるニュースキンの先輩が高速道路開通と同時に物資を持って助けに来てくれたり…。知れば知るほどすごい会社のブランドパートナーをしているんだなと思うことばかりでした。そして皆さんの行動に励まされ、再びこの仕事を続けようという強い気持ちが湧いてきたのを覚えています。

 亡くなった彼と一緒に夢を叶えることはできなかったけれど、これからは彼の分まで幸せになるぞ、と思って頑張っています。落ち込んで上手くいかないときも、彼が見守ってくれているような気がするんです。いつかタイトルを達成して表彰台に立ち、彼に向けてスピーチをするのが今の夢。必ず果たせるよう、前進し続けます。

佐々木 貴行

Takayuki Sasaki

宮城県・仙台市を拠点にして働くブランドパートナー。かつては飲食店を経営しており、同業の友人の誘いでこの仕事をはじめた。その後、2011年に東日本大震災が発生、ビジネスパートナーでもあった友人を亡くしてしまう。一時は意気消沈していたが、友人との夢を叶えるべく目標に向かって今も前進中。

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