リスクのより少ない自営業を求めて。 大切なのはお金じゃなく、リラックスできる時間

2017.01.10

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ご夫婦でお互いに協力しながら活動されている秋元宏之さん・桂子さんご夫妻。お二人とも強い思いでブランドパートナーの仕事を始めるも、ご家族から大反対を受け葛藤した時期があったとのこと。周囲の反対をどう乗り越えたのか、そして現在のお二人の生活の中で幸せを感じる瞬間について伺いました。

お互いの家庭環境から芽生えた将来への不安と、社会に出て見えた現実

——まず、お二人がブランドパートナーになる前にどんなお仕事をされていたのか、教えてください。

宏之:私は、メーカーの営業職に就いていました。幼いころに父が事業で失敗して、経済的に生活が不自由だったんですね。就職経験もなく専業主婦だった母が働きに出て、大変そうな姿を見ることが増えるにつれ、父を反面教師にするようになり…。将来は、自分の子どもに対して同じような思いはさせまいと誓っていました。そこで安定した生活を手に入れるため、会社員になる道を選んだんです。

桂子:私は夫とは逆で、実家の呉服屋を継ぎたいと思っていました。将来、自分が雇う側になったときに、雇われる側の気持ちも経験しておきたいと思って、住宅メーカーの設計事務員に就職しました。

——お二人とも、ご実家が自営業だったんですね。会社員になられてから、お仕事はいかがでしたか?

桂子:とても大変で…朝早くから夜中まで仕事で、満足に休みも取れずに働いていました。事務なので給与も少なく、何のために働いているのか分からなくなってしまって…。仕事を辞めて実家の手伝いに戻ったのですが、収入は事務職のときより減ってしまいました。さらに父から「うちには長男がいるから」と告げられ、希望していた呉服屋を継ぐこともできなくなり、将来に対して漠然と不安を抱えるようになってしまいましたね。

宏之:妻の不安だった気持ちはよく分かるんです。私も、安定を求めて会社員になったはずなのですが、リストラや給与削減などが行われるようになって、自分の将来に不安を感じるようになりました。そして、あてもないまま退職。会社に依存することなく、独立してできるビジネスを探すようになりました。

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ビジネスへの本気度が家族の反対を応援に変えていく

——その後、どのようにしてブランドパートナーの仕事を始めることになったのでしょうか?

宏之:実は会社を辞めた後、平日の昼間に英会話スクールに通っていて。いつも私と2人でレッスンを受けている男性がいたんです。平日の昼間に時間があるなんて、一体何を仕事にしている人なんだろうとずっと気になっていて…。あるとき、勇気を振り絞って声をかけてみたんです。

桂子:ビジネスのときは熱いのに、普段はすごく人見知りだもんね(笑)。

宏之:うん、普通だったらまず話しかけられない(笑)。徐々に打ち解け、彼と仕事の話をするようになり、そこでようやくブランドパートナーの仕事を教えてくれました。それから新宿にあるニュースキンの店舗に連れて行ってもらったのですが、想像以上にたくさんの人がいて、すごく熱気を感じたんです。自分自身で店舗を持って従業員を雇う必要がなく、自分の努力次第で収入が入ってくる仕組みとリスクの少なさに可能性を感じ、その場でブランドパートナーに登録しました。

桂子:夫のその決断力は、いつも見習いたいと思っているところの一つですね。私の場合は、最初は父に来た誘いを私が受ける形でした。説明会が東京であると知り、東京に行ってみたいというミーハーな思いもあったのですが(笑)。いざ、説明会に参加してみると、その場にいるのは洗練されたビジネスマンの方ばかり。私もビジネスとして始めて、こんな立派な人たちと同じようになりたいと、父ではなくむしろ私の方がそう思うようになりました。

——ブランドパートナーの仕事を始めたあと、両親など、身近な人から反対されるようなことはありませんでしたか?

宏之:お父さんから猛反対を受けたんだよね?

桂子:そう、最初はぜんぜん認めてくれませんでした。だからとにかく言葉よりも行動で示そうと思いました。実家の手伝いの空き時間に製品を勉強したり、手伝いが終わってからは知人の家に行って製品を説明したり、ということを毎日くり返して。そうしたらやっと「こいつは本気だな」と分かってくれて、結局は仕事の一番の理解者になってくれました。そのうち父自らも積極的に周りに製品をすすめてくれるほど協力してくれるようになったのですが、仕事が順調になりだした矢先、父は末期がんで他界してしまいました。呉服屋には借金が残り、私が家計を支えるべく、さらに本気でビジネスに取り組み始めました。

宏之:妻は元々責任感が強いので、ビジネスにもちゃんとそれが反映されているんですよ。私も、ビジネスを始めた当初は家族から猛反対を受けました。でも、幼いころ金銭的に辛い思いをした家族だからこそ、「このビジネスはリスクが少なく、頑張った分だけ収入を得られるんだ」ということを毎日ケンカしながらも伝えました。初めは父も母も聞く耳すらもたなかったのですが、家の中の石鹸やらシャンプーやらをニュースキン製品にこっそり取り替えて(笑)。無理矢理使ってもらおうとしたこともありました。さまざまな方法で、少しずつ製品の良さを理解してもらっていきましたね。母は、家元だった祖母から引き継いで日本舞踊の先生をやっています。過去に家庭が経済的に厳しくなったときに収入の足しになればと始めたのですが、今では母が家元になり、たくさんの生徒を抱えています。そんな母が、あるとき自分の生徒達にサプリメントを配ってくれたことがありました。するとその評判がとても良く、あっという間に製品が売れていったんです。そんな出来事もあって、母も仕事を認めてくれるようになりました。

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さまざまな経験を経て感じる、夫婦にとっての幸せな時間

——現在、お二人はどのようなスタイルで、ブランドパートナーのお仕事に取り組んでいるのでしょうか?

宏之:妻と私、お互い環境は違うけれど辛いことを乗り越えてきたので、分かり合える部分が多いんです。私たちは2人とも、出会う前からすでにブランドパートナーとして活動していました。登録は別々だったのですが、知り合ってからはお互いにサポートし合うようになり、結婚したあともそのスタイルで活動を続けています。ビジネスでも人生でも、お互いがアドバイザーですね。

桂子:そうだね。独立しあった者同士が、共存している形が心地良いです。今はお互いに時間を自由にコントロールできるからこそ、2人で昼間から誰もいない公園で散歩をしたり、ベランダでお酒を飲んだりと、ちょっとした贅沢ができる。そんな時間が、一番幸せを感じる瞬間ですね。お金をたくさん使う「贅沢」ではなく、お金には代えられない「贅沢な時間」を得られたことが、この仕事を始めて何より良かったと思うことなんです。

宏之:お金の大切さも恐さも実感してきた私たちだからこそ、そういう何気ないことを幸せだと思えることが嬉しいですね。

——最後に、これからのお二人の目標をお聞かせください。

桂子:今、主人の母に弟子入りして、夫婦で日本舞踊を習っています。最初は親孝行のつもりで始めたのですが、今年2人で名取をすることになりました。私の実家は呉服屋でしたし。これから先は2人で一緒に、日本の伝統文化を残していくことができたらいいね、と話しています。日本舞踊って、知っているようで実は知らない人が多いと思うんです。そんな日本の文化を継承して、若い人に伝えていきたいですね。

宏之:幼少のころは辛い思いをして家庭環境を恨んだこともありましたが、そういう経験があったからこそ、今の幸せを感じられる。今は父のもとで生まれて良かったと思っていますし、親への感謝が年々増しています。親が大切にしてきたものは、私たちが受け継いで伝えていけたらな、と思っています。

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秋元 宏之

Hiroyuki Akimoto

営業職として会社勤めをしていたものの、サラリーマンとしての将来に不安を感じて独立。新しいビジネスモデルを探していたときにニュースキンと出会った。妻の桂子さんとは別々の登録でありながらも、お互いにサポートし合って活動している。

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秋元 桂子

Keiko Akimoto

実家が営む呉服屋に勤めていたところ、父に持ちかけられたはずの仕事に興味を持ち、ブランドパートナーに登録。その後、すでにブランドパートナーとして活動していた宏之さんと出会い、結婚した。

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